お休みをとりました

 逃げるようにして、1週間ばかりの休みをとった。

 

 仕事のストレスが溜まり、まともに働くのが難しくなっていたし、オフの時間でさえ抑鬱的な気分に襲われることが多くなっていたので、心療内科で診断書を取得。しかし忙しい時期ではあり、周囲の人々に手持ちの仕事を割り振るのも心苦しく、療養について上司に切り出すのは勇気がいった。

 それに、適応障害という診断名もタイミング的に気まずかった。ちょうど北方領土問題で失言を犯した丸山穂高議員が、適応障害を理由に理事会を欠席したことで非難を浴びていたからだ。精神医学に詳しいわけではないけど、社会環境と密接に結びついた疾患というものは、発達障害しかり、一目でわかるような症状が出るとは限らないので、本当に障害があるのかと疑いの目を向けられやすい。件の議員だって実際に適応障害と診断されるべき状態だという可能性があるにもかかわらず「仮病を使って逃げた」と叩かれているのだから、自分も「同じ手を使うのか」と責められるかもしれないと思った(一歩引いた目で見るとさすがに杞憂だったかもしれない)。

 とにかく、僕は診断書の提出をギリギリまで引き延ばしたのち、結局起き上がれない状態になって欠勤、半ば叩きつけるように休む旨をメールで送ることとなった。

 

 かなり罪悪感はあるし、戻ったときにどんな嫌味を言われるか想像もつかない。だが、正直言って休みをとってよかった。この数日の間に、自分がいま何を抱え込んでいるのか、本当はどういう欲望をもっているのか、それらにどうやって向き合っていけばいいのか、ある程度の整理ができる気がしている(ゴミ屋敷のように散らかった部屋とともに)。

 そんなことを考えるうちに、駆り立てられるようにして開いたのがこのブログだった。いま書いてきたようなことを文章という形でまとめたいと思ったのもある。それに、もしブログを続けることができたなら、ため込んだ表現欲求みたいなものが少しでも満たされるかもしれないと思っていたので、この休暇がチャレンジを始める良い機会だと思ったから。

 

 前回ブログを書いたのが約3年前。3年の間に、とにかく自分の社会というものへの向いていなさを自覚させられたし、その向いていなさは、発達障害という診断名によって良くも悪くも輪郭を与えられ、対象化されることとなった。それに伴って、生まれ持った人間の能力の限界とか、平等という概念があまりに曖昧に設定された社会とか、感情が極めて物質的なものであることとか、そういう(月並みながらも人間観を規定するような)テーマについて考えざるを得なかった。

 だいぶ説明を端折ることになるけど、そんなこんなで、仕事以外に自己表現の場を持たないと精神的にヤバいかもしれないなと考えるに至った。方法はなんでもいいけど、文章が一番続けられそうだ。Twitterをずっと続けてしまっているのも、文章を書くのが好きだからというのがあると思う。そしてブログなら、1postの制限字数が短すぎて大体のことがコソッと仄めかすだけで終わってしまうこともないし、投稿すると即座にフォロワー全員のTLに表示されるために内容を選ばなくてはならないということもない。

 

 さっき急に始めようと決めたので、どういうことを書いていくか全然決めていないし、あまりキャッチーなことは書けないはずですが、なるべく続けばいいなと思っています。よろしゅう……。