傷物語〈I 鉄血篇〉

尾石達也ハズカムバック!!

f:id:throughkepot:20160111000543j:plain

f:id:throughkepot:20160111000658j:plain

「シャフトの富樫」なんて渾名までついた『化物語』のシリーズディレクター尾石達也が帰ってきた。彼の演出の仕事はNHKのトーク番組『MAG・ネット 〜マンガ・アニメ・ゲームのゲンバ〜』のOP映像を数に入れても6年ぶりだ。

ぱにぽにだっしゅ!』や『さよなら絶望先生』などのOP映像、突如現れる実写、リズミカルに色駒を挿入することによる運動の省略などなど、新房昭之以上にシャフトのカラーを築いたといっても過言ではない。

そもそも、『ひだまりスケッチ』(2007年)での彼の仕事がなかったら、僕はアニメの演出なんてものに気を配っていなかったかもしれない。
ひだまりスケッチ』は、現在ほどTVアニメのシリーズ全体の統制が求められていなかった当時としても、話数ごとの演出の違いが目立つアニメだった。監督の新房自身が椎谷太志名義で絵コンテを手掛け、熱にうなされる主人公の見る夢を表現した5話も印象に残ったが、特に虜になったのは尾石の手掛けた2話。
冒頭のラジオ体操の音楽に合わせたリズミカルな映像、からのOPという流れは本当に気持ちいいし、室内から一切動くことなく会話しているだけのAパートを、目まぐるしいカッティングで飽きさせず見せているのも最高で、当時尾石なんて名前は知らなかったけど何回も何回も見た。

f:id:throughkepot:20160111000614j:plain

さて、そんな尾石の最新作『傷物語〈I 鉄血篇〉』である。今作では『化物語』以上に決定的瞬間を過剰に引き延ばして強調する手法が使われている。『エースをねらえ!』『あしたのジョー』といった出﨑統作品の、3回PANやハーモニー演出(突然一枚絵っぽくなるやつ)の現代版といったところか。
特に、主人公・阿良々木暦が吸血鬼キスショットに迫られ、逃げようとするシーン。阿良々木の頭の中の逃げる自分のイメージと、ゆっくり後ずさりすることしかできない実際の阿良々木の姿がそれぞれ細切れになり、シャッフルされる。観客が、おっ逃げるのか、と思わされた次の瞬間、目の前に吸血鬼の迫った状態に引き戻されるという、かなり緊迫感のあるシーンだったと思う。

しかし一緒に見に行った友人二人には「テンポが悪い」と評判がよくなかった。確かに、とにかく30分の放送、2時間の上映に情報を詰め込むことがよしとされるこのご時世、そのような演出をくどいと感じる人がいても無理もないだろう。1時間1500円を3部作というのもあくどい商法で(しかもおなじみの週替わりの特典付き)、もう少し短縮して1部にまとめろというのももっともだ。

だが、好きな演出家の6年ぶりの新作というのを差し引いても、やはり僕はこの映画を肯定したい。
まず今作は、ストーリーを観客に伝達するためには作られていない。〈物語〉シリーズを見てきた人なら(いや第1作目の『化物語』さえ見ていれば)、原作小説を読んでいなくても『傷物語』のストーリーはおおよそわかっているのだから。
だからこの映画で大事なのは、主人公・阿良々木と、既におなじみのキャラクターたち――羽川やキスショット(=忍)、忍野――との出会いをいかにドラマチックに描くかだ(実際僕はキスショットとの出会いのシーンでかなり感動した)。したがって、もう少し短縮すべきだという批判は措いておいて、伝達性ではなくどこまでも装飾性にこだわった今作の演出方針は正しい。それはシャフトみたいな制作会社の、ここぞという腕の見せ所なのだ。

というか、シャフトみたいな「合わない人にはとことん合わない」作風の制作会社が、深夜アニメというある意味で保守的になりがちなフィールドでヒットを出したというのがかなり希望だと思うのだが、それはまた別の話。

ちびまる子ちゃん わたしの好きなうた

ちびまる子ちゃん わたしの好きなうた』を見た。1992年の作品だが、DVD化されていないらしいため、見るのが難しかった。アニマックスに感謝。

ストーリーは、いつも通りのコメディに加えて、最後にほろりとできるもの。それだけでも、劇場アニメらしい豊かな芝居や温かみのある背景美術と併せて楽しめる(この辺は後述する)。だが、なんといっても特筆すべきはいくつか挿入される音楽パートだろう。

このアニメでは、原作者さくらももこが『ファンタジア』や『イエローサブマリン』に言及しているように、途中で音楽とそのイメージ映像が挿入される。まずその選曲がいい。大滝詠一「1969年のドラッグ・レース」、たま「星を食べる」など、TV版のOP・EDとも関わりあるアーティストもいて、おそらくはさくらの趣味なのだろう。「ヒロシの入浴」「B級ダンシング」というオリジナル曲もある。特に「B級ダンシング」はビートルズパロ満載で耳に残る(作曲はなんと『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』に参加し、「ウイスキーが、お好きでしょ」などでも知られる杉真理だ)。

これらの音楽パートは、アニメーションとしても素晴らしい。本作の監督であり、ルパン三世の蟹股歩きを作ったともいわれるベテランアニメーター・芝山努の手掛けたパートもある。だが、特に有名なのは湯浅政明が手掛けた「1969年のドラッグ・レース」「買い物ブギ」(笠置シヅ子)の、サイケデリックともいえるパート。湯浅政明は、TV版のOP・EDも手掛けているが、『クレヨンしんちゃん』の劇場版の設計デザインやアクションシーンの作画でよく知られている。最近でいえば『四畳半神話大系』『ピンポン THE ANIMATION』の監督を務め、『スペース☆ダンディ』第16話「急がば回るのがオレじゃんよ」に参加している。「1969年のドラッグ・レース」で、ロールスロイスのタイヤが伸び、ロボットのように歩き出すという発想はなんとも湯浅らしい。

ところで、90年代初頭に始まった『ちびまる子ちゃん』と『クレヨンしんちゃん』には共通項がある。それは3頭身のキャラクターと、あまりキチンとしていない背景である。直前に放映開始し、現代日本を舞台にしたコメディアニメは、『キテレツ大百科』にしろ『らんま1/2』にしろ『まじかる☆タルるートくん』にしろ、もう少し「キチンと製図されている」印象を受けるのだがどうだろう。「絵っぽさ」の復権とでもいうか。80年代を通して、『ガンダム』に代表されるような緻密な設定と描写が流行し、ロリコンブームのようにフェチ的な消費が加速して、アニメが大人向けのものになっていたことへの反動なのだろうか。

ちびまる子ちゃん』は、第1話から野村可南子が美術監督を務めている。この方は初期の『忍たま乱太郎』でも美術を務めており、やはりふにゃっとした感触を出しているが、ネットにはあまり情報がない(『忍たま』は『ちびまる子ちゃん』と同じく亜細亜堂が関わっており、スタッフもかなり被っている)。

『わたしの好きなうた』の美術も野村氏がクレジットされているが、静岡の街並みや水族館が本当に美しく、TV版以上だ。派手な音楽パートとは対照的に作品に温かみを持たせていて、本作の見どころの一つだと思う。(画像は『わたしの好きなうた』の下敷きの図面)

f:id:throughkepot:20160106021544j:plain

ストレイト・アウタ・コンプトン

今年の映画館初めは『ストレイト・アウタ・コンプトン』でした。ギャングスタ・ラップの始祖N.W.A.を扱ったノンフィクション。劇場はサブカルっぽい人とヒップホップっぽい人が半々という感じ。

出来事を順番に描いていくだけなのだが、なにせ事実がドラマチックだから普通に面白い。金絡みのいざこざで散り散りになったメンバーたちがやっと和解し、再結成間際というところでリーダーのイージー・Eがエイズで死去とか出来すぎてるでしょ……。自分のようなヒップホップ初心者にも薦められるし、詳しい人も映画として改めて楽しめるのでは。名前くらいは知ってた程度の人物たちも、キャラクターとして頭に焼き付いた。

特にグッときたのは、警察監視の中 ”Fuck The Police” を演るシーン。「ファックザポーリス!!」と連呼するコーラス部に入るまでの緊張感がたまらない。

事項を詰め込んでいるので、端折られて事実関係がよくわからなくなっている部分もある(なぜドクター・ドレ―は最後にデス・ロウから独立したのかとか。その辺はWikipedia参照)。だがそれでもN.W.A.に対する社会の反応とかは最小限にとどめて、カリフォルニアの片隅から出てきたメンバーたちが欲望渦巻く音楽ビジネスの世界に巻き込まれていくさまに焦点を当てているから十分か。