2010年代邦楽フェイバリットアルバム50【5~1位】

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の続きです。

 

5.AIKATSU☆STARS『Joyful Dance』(2015)

Joyful Dance

Joyful Dance

 

アイカツ!」は人生観もフィクションの楽しみ方もずいぶん変えられた自分にとってすごく大事な作品なのですが、音楽だけ切り取っても(本当にそんなことが可能なのか?はさておき)見るべきところが多いのです。

本作はアニメ第3期最初のアルバムで、第2期のスケールの大きさからはうってかわって和やかな空気で群像劇を描いた第3期にふさわしく、渋谷系的なレトロさと懐かしさがあふれています。Negiccoの音楽プロデューサー・connieが手掛けたもろにPizzicato Fiveな「Pretty Pretty」、2010年代のアニソン界で小さなブームであったロジャニコ風ポップスの中でも名曲と言える「恋するみたいなキャラメリゼ」、クラムボンのミトが提供した80年代ユーミンを思わせるシンセポップ「Poppin’ Bubbles」などすべてが佳曲なのですが、ここではあえてMONACA帆足圭吾作曲の「ハローニューワールド」を取り上げましょう。

 「ハローニューワールド」はトランペットのよく目立つビッグバンド調の曲です。普通にサビまでの流れも美しいのですが(MONACAの若い世代の特徴としてよく語られるaugの響きがよく出てきます)、特筆すべきは2サビ後の流れでしょう。

1サビの後のようにギターがソロを弾くのではなく、シンプルなストロークでコードを鳴らします。このときの半音ずつ下降していくような進行(ビートルズの「Lucy in the Sky with Diamonds」や「Dear Prudence」のコード進行をずらした形)といい、ゆるく歪んだギターの音といい、くるりの「ハローグッバイ」を思わせます。盛り上がるのではなく、ゆっくりと沈んでいきながら何かを待っているようなイメージ。

そこからまた展開し、トランペットのソロへと突入するのですが、先述の「待ち」の部分がこの間奏部をより泣かせるものにしています。さておき、このような2000年代J-Pop、J-Rockのエッセンスを自然に吸収しているところが、MONACAの若い世代が自分にとってぐっとくるポイントではないかと思います。

 

 

4.andymori『ファンファーレと熱狂』(2010)

ファンファーレと熱狂

ファンファーレと熱狂

  • 発売日: 2010/02/03
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

2010年前後、ガレージっぽい荒々しいロックンロールを鳴らすバンドがたくさん出てきましたが、もうずいぶん昔のことのような気がします。andymoriは、その中で筆者が一番好きなバンドでした。

「和製リバティーンズ」と称されることが多かったandymori。確かにたくさんの共通点があり、明らかに影響を受けていたと言えるでしょう。ギターのサウンドや "恋はあせらず" ビートが多いところ、IVmを多用するちょっと悲しげなコード進行(このアルバムだと "CITY LIGHTS" の「見上げたスクランブル大画面……」のあたりなどそうですね)、高速で詰め込まれる歌詞(andymoriに関しては、RADWIMPS以降の邦ロックの流れと言えるかもしれません)などなど。

一方で筆者は、そうした特徴に同時代のUSインディーのバンドたちとの同時代性も感じます。Girls、Smith Westerns、The Pains of Being Pure At Heart、Wild Nothing……これらのバンドに共通して感じるのは、身も蓋もない言い方をすれば「いい歳した男が過剰にセンチメンタルな歌を歌っている」ということでしょうか。不景気やジェンダー観の見直し、SNSの独特な距離感をもったコミュニケーションの黎明といったいろいろな要因が重なって、そういうのがアリとされる時代だったのかもしれません。

本作の1曲目 "1984" には、「椅子取りゲームへの手続きは/まるで永遠のようなんだ」という歌詞が出てきます。おそらくは幼少時代の気持ちを表現したものですが、このセンチメンタルさ、ナイーヴさ! とはいえ、andymoriの歌詞はたとえば銀杏BOYZのような振り切れた自意識過剰さはなく、自分の心情と世界で起きている様々な問題を一足跳びに結び付けたり、何もできない自分をシニカルに俯瞰したりするような中途半端な「大人さ」があります。こういうところに、「いい歳」でありかつ「センチメンタルな男」であるところの筆者は慰められることこの上ありません。

いま、社会との不適合はマネージされるべきものとして低くみられるか、あるいはもっと複雑な別の問題になってしまうか("クレイジークレイマー" に「病名でもついたら病名でもついたら/いじめられないし/もう少しは楽なのかな」という歌詞がありましたが、まさしく病名がつけられて別の問題となってしまうような事態)でしょう。そういうセンチメンタルな歌もずいぶん減ったように思います。

 

 

3.花澤香菜Blue Avenue』(2016)

Blue Avenue

Blue Avenue

  • 発売日: 2015/04/22
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

当初は、とにかくキュートな声質を買われ、極端に言えば空虚なイレモノ的になることを期待されて歌手活動を始めたのだろうと思います。SPANK HAPPYでの岩澤瞳の立ち位置というか。じっさい1stや2ndでの彼女の歌い方は、ポジティブなフレーズは楽しげに、ネガティブなフレーズは悲しげにというようなある種「優等生」的なもので、それがとろけるように甘いラブソングによく合ってもいました。

ところが、本作で彼女の歌唱は劇的な変化を遂げています。1曲目 "I ♥ New Day!" の歌入りからして、ブレスの入れ方、スタッカートのつけ方など、楽器としての歌のダイナミズムがあるのです。もちろん、かといってアイドル的であることをやめたわけではありません。ビッグバンド調の "Night and Day" 間奏前の「タ・タ・タ・ターン!」や、フュージョン・ナンバー "We Are So in Love" の2番Bメロ「新しい神話」のところなどは、いきいきとしていつつめちゃくちゃエロいです。

白眉はスウィング・アウト・シスター(!)提供の "Dream A Dream" でしょう。Bメロ(「ドラマチックな~」)のメゾスタッカートのつけ方といい、花澤さんはこの曲でSOSのボーカル、コリーン・ドリュリーの歌い方をうまくコピーし、自分の歌い方に昇華しています(楽曲提供者の歌い方をコピーするという方法は、やくしまるえつこが手掛けた先行シングル "こきゅうとす" あたりから行われています)。3年あまりの歌手活動で、花澤さんは様々な歌のメソッドを消化吸収し、「やたら曲が良い声優歌手」の領域をはみ出してしまった、という印象を自分は受けます。

 

そのような彼女のストイックさは、1stから一部の曲で自ら手掛けている歌詞にもよく表れています。2ndでは、ラブソングや少女の夢のような世界観を描いた詞が多くを占める中、"マラソン" "真夜中の秘密会議" といった彼女の詞に自立して生きようとする人間が生活の中で感じる苦みのようなものが表れていて、強い余韻を残していました。『Blue Avenue』では "プール" がその路線を推し進めた作品と言えます(余談ですが、後にいきものがかり水野良樹が提供する "春に愛されるひとに わたしはなりたい" は、そうした彼女の世界観をうまく汲み取った傑作だと思います)。

そういうわけで、花澤香菜はかわいらしいイレモノというポジションからみるみる飛び立ってしまいました。楽曲の面でも、次作以降アイドル色は後退します。現時点での最新作は、橋本絵莉子(ex.チャットモンチー)、真島昌利ザ・クロマニヨンズ)といった、彼女が敬愛するロック系のソングライターによる曲がメインとなっています。

 

 

2.Negicco『MY COLOR』(2018)

MY COLOR

MY COLOR

  • 発売日: 2018/07/10
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

3人がかわるがわるソロパートを歌い、ハモり、ユニゾンする。自分がアイドルグループの音楽を聴くときに求めているのは、そうした声の絡み合いからくる多幸感だと言って間違いないと思います。

Negiccoはそのような声の絡み合いを、さながら60年代ポップスのようにじっくりと聴かせてくれるグループです。Nao☆の鼻にかかったような、しかしよく通る特徴的な声、Kaedeの低めで倍音の強い声、Meguのハリのあるキャンディボイスの掛け算。ツボを押さえた楽曲制作陣のラインナップがよく取り沙汰されるNegiccoですが、それ以前に声の良さが彼女たちの魅力だと言えるでしょう。

 

1stアルバムの頃はクラブミュージック寄りの曲が多かった彼女たちですが、徐々に生バンドの柔らかい曲調を中心とする路線に舵を切りました。4枚目のオリジナルアルバムであり、結成15周年を記念する本作はYOUR SONG IS GOODやザ・なつやすみバンド、CRCK/LCKSなどを制作陣に迎えた、密かに2010年代日本のインディミュージックの集大成的な内容です。こうした変化をメンバーの喉の不調などを踏まえた消極的選択とみる人もいるかもしれません。しかし、Nao☆の結婚が象徴するように、十代の儚い美しさのみを良さとする女性アイドルのステレオタイプに逆らい、継続可能性をとるところに自分はこのグループのしなやかさを感じるのです。

歌詞の面でも、15周年を言祝ぐとともに、活動を続けていく喜びを表現するアルバムとしてゆるく(しかし綺麗に)まとまっています。シャムキャッツが提供した、アイドルを辞めたかつての仲間とメールをするという設定の "She’s Gone" が特に秀逸ですが、祝福だけでなくどこか不安をまとっているのが好きな点でもあります。

良くも悪くもアイドルの時代であった2010年代。アイドル音楽の有力なオルタナティブとして、本作は結構重要な位置にあるのではないでしょうか。

 

 

1.cero『POLY LIFE MULTI SOUL』(2018)

POLY LIFE MULTI SOUL

POLY LIFE MULTI SOUL

  • 発売日: 2018/05/16
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

シティポップと関連の深いジャンルとして「ソフィスティ・ポップ」というものがあります。スタイル・カウンシルやプリファブ・スプラウトスウィング・アウト・シスターなどが分類されますが、シンセサイザーの普及以降の、ブラック・ミュージックに影響を受けた、ソフィスティケート(洗練)された音楽という点で、特に80年代のシティポップと同時代性のあるジャンルだと言えます。

ところで、「ソフィスティケートされた音楽」とはどのようなことを指すのでしょうか? コード感や演奏テクニックも関係しているでしょうが、重要なポイントとして「音に隙間があり、すっきりしている」「ノイズが抑えられ、クールである」という感覚があると思います。こうした感覚が「値打ちもない華やかさに包まれ」た都会(大貫妙子「都会」)を俯瞰するようなシティポップの冷めた空気を作っているのではないでしょうか。話は逸れますが、そうした「音の隙間」をアヴァンギャルドな形で活かしたのがゆらゆら帝国『空洞です』だ、なんてことも言えるかもしれません。

 

ceroの名盤『Obscure Ride』は今日のシティポップ・ブームに先鞭をつけたアルバムと見なされています。彼らは、1stや2ndにおいて持ち味であった、ガチャガチャとした狂騒的な部分を抑えることで、同時代のヒップホップやR&Bに特有のリズムのずれや隙間の感覚を再現しました。それが、80年代シティポップを参照した形跡がそれほど見られないにもかかわらず、このアルバムがシティポップ=ソフィスティケートされた音楽として受容された要因でしょう。

一方、本作『POLY LIFE MULTI SOUL』。前作の方向性を推し進めた「黒い」アルバムですが、前作にあった「すっきりした」印象はもはやありません(洗練されていないというわけではなく)。さまざまな楽器とコーラスが多声的に絡み合い、抑えられていた狂騒性が復活し、静かな熱さを湛えています。都市を覆うノイズをクリーンアップするのではなく、むしろ受け入れてともに踊ろうとすること。歌詞の面ではそのことが、幾筋にも分かれ、ときに濁流を起こしつつ、最後には同じ海に流れていく川のメタファーで表されています。  筆者はこのアルバムを聴くと、これからポップスは狂騒の時代を迎える、そしてそれをリードするのがこのアルバムかもしれない、というワクワク感を抑えられません。

 

 

ザックリ総括

いや、長かった……。ちょっとのんびりやりすぎて、年明けてから2週間も経ってしまいました。

なんというか、ポップでガチャガチャした音楽が好き、ラテンのエッセンスがあるとなおよし、みたいな筆者の趣味をひたすら開陳するブログになっている気がしなくもないですが、そういう意味では、2010年代は好みの音楽に恵まれたディケイドでした。そして1位のceroのコメントでは、これからはもっと狂騒の時代になるぞ(なったらいいな)という願いを込めて締められたのでよかったと思います。

自分の頭の中の澱のようなものをざっと出せたので、今後どうしようかと迷っています。月一くらいで良かった作品をジャンル問わず書いていくかな。また、今回書いていて、自分は「ユーモア」ということにかなり関心があるのだな(そしてそれはなかなか言語的に分析できないな)という自覚を得たので、そういう一つのテーマを軸にいろいろな作品を横断的に見る記事とか書けないかな……などと考えています(難しそうですが)。

 

それでは、長々お付き合いいただきありがとうございました。